一度きりの人生、後悔を残したくはない!それには…

こんばんは。講師の飯田です。私が大学生の頃、所属していたスキューバ・ダイビングのサークルで、インストラクター(指導員)を囲み、宴会をしていた時のことです。

飲むほどに酔いが回り、インストラクターの男性は、身の上話を始めました。

一流大学卒業後、だれもが知っている有名企業に入社。30代前半で年収1千万円の課長に昇進、将来を嘱望されていたといいます。

奥さんとかわいい2人の子供に囲まれて、幸せを絵にかいたような生活でした。仕事も順調、家庭も円満。これといった不足はない。

なのに、ふとした瞬間、「このまま一生が終わってしまうのか」「俺の人生ってこんなものなのかな?」と言い知れぬ不安とむなしさに襲われるのをどうしようもなかったと言われるのです。

一度きりの人生、後悔を残したくはない。それには、自分が本当にやりたいことをやろう!と固く決意し、周囲の反対を押し切り、奥さんを説得。

ついに会社を辞め、スキューバ・ダイビングのインストラクターとして再出発したのは35歳の時でした。

青い空、輝く海、色とりどりの魚。そんな大自然に身をゆだねれば、夢の世界に浸ることができる。しかし、一切を捨てて飛び込んだものの、厳しい現実の波は容赦なく襲ってきました。

バブル崩壊の直後です。貯金を切り崩すやっとやっとの生活に加え、新たな人間関係に悩まされ、何度、眠れぬ夜を過ごしたことか分からないと言われていました。

 

「好きなことをやれてうらやましい、と周囲は言うけれど、決してそんなんじゃない。心が安らぐのは、海の中に潜っているほんのひとときだけだよ」

 

一気にビールを飲み干すと、ため息交じりにつぶやきました。

 

「海の中にいる時だけが幸せなら、魚に生まれてくればよかったですよね。」

 

と思わず私は言いました。それを聞いていた周りの人達はドッと笑いましたが、その時、真顔でその男性はポツリとこう言ったのです。

 

「本当だ。魚に生まれてくればよかった・・」

 

私はその言葉を聞いて、笑えませんでした。地球より重いはずの命を受けながら、どうして「人間に生まれてきてよかった」と言えないのでしょうか。

 

 

 

人間だけが何のために生き、どう生きるべきかを問う。しかし…

受験戦争、就職戦線、出世競争の勝ち組から転じた悠々自適の暮らしは、だれもがうらやむのに、どうして「生まれてこなければよかった」とため息が出るのだろう。

もし本当に生きる目的があるのならば、「人間に生まれてきて良かった!」と言えるものでなければ嘘だなと、そのとき、思ったものでした。

どこかに、人間に生まれたことを心から喜んでいる人はいないだろうか。

色々な書物に手を伸ばし、人にも会いましたがなかなか答えは分かりませんでした。

そんな20歳の秋に、人生を大転換させる1枚のチラシを受け取ったのです。それは仏教講座のチラシで、心に残る言葉が書かれていました。

 

馬も猿も生きる意味を問わない

人間だけが何のために生き

どう生きるべきかを問う

しかし、最近は、そのような人間らしい人間がいなくなってきている

 

20世紀最大の哲学者と言われるハイデッカーの言葉です。その生きる目的が「歎異抄」という仏教古典に記されているという内容でした。

一目見て「人生の目的なんて、いままで考えたことなかったけど何かすごい気になるな。人生の目的が仏教にハッキリ説かれているなら一度聞いてみたい。」と思ったのです。

 

 

私が生きる、たった一つの目的

人生にはこれ一つ果たさなければならないという大事な目的がある、とお釈迦様は教えられています。

その一大宣言が「天上天下 唯我独尊」という言葉です。

この言葉は、皆さんも一度は耳にされたことがあるのではないでしょうか。

よくトンネルの壁にスプレーで書かれていたり、暴走族の特攻服の裏地に刺繍されていたり・・

そういえばボクシングで有名な亀田三兄弟のガウンにも刺繍されていましたね。。

 

広く知られている言葉ですが、その意味を誤解している人は少なくないといわれます。

よく「あいつは唯我独尊的な奴だ」などと言っています。

世界で自分が一番偉いと思っている、俺ほど偉いものはないという自惚れた言葉のように思われています。

 

しかし、それは大変な間違いです。お釈迦様は世界三大聖人と言ってもトップにあげられる方です。

昔から「実るほど頭を垂れる稲穂かな「下がるほど人の見上げる藤の花」と言われ、立派な人ほど、腰が低くなる、頭を垂れると言われます。

お釈迦様がそんな傲慢なことを言われる方ならば、誰も世界の偉人と仰がれないのではないでしょうか。

 

では、この言葉は何を言われているのでしょうか。

「天上天下」とは、この大宇宙広しといえども、ということです。

「唯我独尊」とは、ただ私たち人間にしか果たすことのできない、ただ一つの尊い目的があるという意味です。

この「我」とは我々人間ということです。お釈迦様がご自身のことを書かれるときは「吾」という字を使われます。

ここを間違えてしまうので、「俺が一番偉い」という意味にとってしまわれる方が多いのではと思います。

 

では、そのたった一つの目的とはいったい何なのでしょうか。

私たちは、何のために人間に生まれてきたのか。お金儲けの為でもなければ、家を建てる為でもない。子供産む為でもなく、起業する為でもありません。

それらは、目的ではなく生きる手段である、と仏教では教えられ、本当の人生の目的とはどんなことなのか、ハッキリと説かれているのです。