「あなたの生きる目的は何ですか?」と聞かれたら

「何のために生きているの?」と聞かれたら、あなたならどう答えますか。

 

今朝ニュースを見ていましたら、この連休に「ゴールデンウイークに学ぼう」という趣旨のキャンペーンがおこなわれているそうで、子どもたちの疑問を解決するとういうコーナーをやっていました。

 

 

その中で、スタジオに来ていた8歳くらいの男の子から、人気のタレントさんと女優さんに投げかけられた疑問が「人間は何のために生きるんですか?」でした。

とても元気そうな男の子で、カメラの前で見知らぬ大人に囲まれても、ハキハキと喋っていました。話によれば、3年くらい前からこの疑問を持っていたそうです。

 

 

 

近年、学校に行きたくないと言う子が増えている

 

文部科学省の平成28年度の調査によると、小学校・中学生で長期欠席している児童・生徒は20万人を越えているそうです。

このうち、不登校児童生徒は13万人。これは平成5年以降、増え続けています。高校生でも、長期欠席している生徒は約8万人、不登校の生徒も5万人に迫る勢いです。

行きたくない理由はいろいろとあるのでしょうが、周りからは「学校に行きなさい」と言われます。勉強が遅れるのではないか、進学や就職に影響があるのでは、という心配も出てきます。

学校に行くと嫌なことがあって苦しみますが、しかし学校に行かなくても苦しみがあります。

 

また、自分の居場所がない感じている子どもも多いと言われます。学校にも、家にも、心が休まるところが無いのです。

自分を守る最後の手段は死ぬしか無い、というところまで追い込まれてしまう子どももあります。

 

そんな時に「何のために生きているの」と聞かれても、「わからない」というのが本音でしょう。

何か楽しいことでもあれば良いのでしょうが、辛い思いをしている人にとっては、「死にたくないから生きている」ということにもなってしまいます。

まだ子どもなのだから、そんな大きな苦しみなんか無いだろう、と思う人もあるかもしれませんが、子どもは子どもなりに苦しんでいるのです。

 

 

生きる意味がわからなければ、命を大切にできない

 

一方で、10代の少年が数人で同年代の少年を殺害するという事件も跡を絶ちません。多くが、イライラしていた、憂さ晴らしで殺した、と供述しています。

不登校も、いじめも、それぞれに背景やきっかけはありますが、今は教育環境や社会制度ではなく、もう少し心に目を向けてみたいと思います。

いずれも自分の命も他人の命も大事にできていない、という心の現実です。

何のために生きるのか、生きる意味がわからなければ、命も大切にできなくなってしまうのではないでしょうか。

 

 

生きる目的とは、年齢とともに変わっていくものなのでしょうか

「あなたの生きる目的は何ですか?」と聞かれて、高校生や大学生なら、また社会人や、家庭ができて親になると、どう答えるでしょうか。

インターネットで上に掲載されている調査結果によると、以下のようなことで悩んでいる人が多かったようです。

 

高校生の悩み

1. 進路が決められない
2. 親の干渉が激しすぎて困る
3. 彼氏・彼女がほしい
4. 大学に行く意味がわからない
5. バイトしたいのに許してもらえない

 

大学生の悩み

1. やりたいことが見つからない
2. なんのために働くのかがわからない
3. なかなか内定が取れない
4. 失恋した
5. 一人暮らしを許してもらえない

 

社会人の悩み

1. 仕事が覚えられない
2. 人間関係がうまくいかない
3. 仕事のミスが多い
4. 仕事にやりがいを感じない
5. 給料が低い

 

 

とにかく学校や仕事、将来への悩み、友人関係等で忙しい

 

高校生も大学生も、将来に対する悩みが多いのですね。

どんな仕事が自分に向いているのか、そのためにはどんな勉強をしたらいいのか…等など、自分の進路や人生に目が向き始める頃です。

 

友だちとの人間関係も少しずつ複雑になります。誰と仲良くできるか、嫌われはしないか、先生にちゃんと評価してほしい、でも教師に良い顔をしているとは言われたくない。

小学生の頃ならケンカしても翌日にはすぐ仲直りできましたが、成長すると、一度こじれた関係はなかなか元に戻せなくなります。

受験が始まれば毎日塾や予備校に行って勉強をします。

大学生では1、2年生からインターンシップに行くのが当たり前になり、就活が始まればESを出して、説明会に足を運び、試験や面接を受けます。

公務員や教員、司法試験等の勉強に打ち込む人もあります。そして、委員会活動や部活動もあり、サークルを掛け持ちして、人脈が増えていきます。

クラスやサークルの中で好きな人ができると、朝から晩までその人のことを考えて、目が合った、話ができた、席が離れた、クラスが変わったということで一喜一憂します。

私にも、この人と両思いになれたら何もいらない、と思ったことがあります。

恥ずかしいからそんなことは言いませんが、心の中は異性のことばかり、と言ってもいいかもしれません。

たしかに、考えてみれば人気のテレビドラマでも、恋愛や仕事について取り上げられるものです。

 

社会人になると、仕事のことで一杯な人が多いようです。「早く一人前にならなくちゃ」「上司や先輩に怒られないように」と頑張ります。

数年勤めて後輩や部下ができると、仕事にも責任が生まれてきます。バカにされないように、と能力やスキルの悩みも増えてきます。

そして、もっと給料が上がれば、良い結婚相手が見つからないだろうか、将来はキャリアアップを、と望みが膨らんできます。

休日にはみんなで遊びに行ったり、ネイルやヘアスタイル、美容にもお金がかかります。ジムやヨガ、お稽古ごとに通う人もありますね。

 

学生や社会人も「何のために生きるの?」と聞かれれば、学校や仕事の目の前の問題、将来への悩み、友人関係等で朝から晩まで忙しくしています。

 

 

親になると生活が一転、子どものことで頭が一杯

 

結婚し、子どもができると、頭の中は子育てで一杯、という声をよく聞きます。仕事に対して、とくにお金についての悩みが深まります。

お金がなければ、高校や大学にも思うように通わせられず、良いように育てられません。

保育園に入れたい、幼稚園に通わせたい、習い事もさせたいし、旅行にも連れて行ってやりたい。賃貸のアパートよりも、マンションや戸建て、できればマイホームに。

いずれ良い高校、良い大学に入れたい。そのために働いて、節約して、貯金して…と。そして子どもの成長とともに自分も年をとります。

疲れやすくなり、顔にもシワが増え、髪も薄くなってきます。肩が痛い、膝が痛い、視力が落ちた、の声はよく聞かれます。

病気になれば早くを治して、健康を取り戻すために治療に専念します。

動けなくなったらなるべく良い施設に入りたい。そのためには、やっぱりお金を貯めておかなければ…と。

終活の話もあちこちで聞くようになりました。墓じまいをしたほうがいいか、財産は誰に譲ろうか、と悩みます。

 

そうして、人生の晩年を迎えるわけですが、はたして私たちは何のために生きるのでしょうか。

 

 

人生に意味が感じられないのは、生きる目的を知らないから

 

森鴎外の小説『青年』は、作家を志す主人公・小泉純一の心の悩みと成長を描いた青春小説の代表作です。その中に純一の日記として、このように書かれています。

 

生きる。生活する。答えは簡単である。しかしその内容は簡単どころではない。
一体日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門をくぐってからというものは、一生懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。その先には生活があると思うのである。
学校というものを離れて職業にありつくと、その職業を為し遂げてしまおうとする。その先には生活があると思うのである。
そしてその先には生活はないのである。
現在は過去と未来との間に画したした一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。

 

子どもは子どもなりに目的を持って生きています。しかし、なかなかそれが果たせなくて苦しいのです。

学校を出たら、大人になったら、自分の思う満足な生活ができると思って一生懸命頑張ります。

仕事に就いたからと言っても、悩みや苦労は絶えません。大きな仕事ができたら、プロジェクトが成功したら、会社が起こせたら、そうしたら思い通りの人生になる、と頑張ります。

進む先にあるはずの「このために生きてきた」という満足感や達成感、幸福感を目指しますが、それはどこまで行けばあるのでしょうか。

小説『青年』には「そしてその先には生活はないのである。」と綴られていますが、仏教では、子どもも大人も、悩みや苦しみがあるという点で同じであると説かれます。

どうすれば「私の人生の目的、生きる意味はこれだ」と胸を張って言えるのでしょうか。

 

 

 

この坂を越えたなら幸せが待っている…のか

 

学校に行きたくない子どもなら、こんな学校卒業したら幸せになれるのに…と思います。

卒業後も、友人関係での悩みや、仕事で結果を求められるなどの苦労があります。

親になったからには、子育てのためにも稼がなければなりません。しかし、楽な仕事というものは無いわけです。

ちょうど、ハイキングで言えば、目の前に険しい登り坂がどーんとそびえるような状態です。

これを乗り越えれば楽になれる、と思って登ってみると、また次の坂が現れます。やっとの思いで手に入れた幸せも、一瞬で消えてしまうことがある。

そして、また「この坂さえ越えたなら」と目の前の坂を登り始めます。どこまで言っても本当の満足ではない。

年を取って子どもが独り立ちすると、のんびりとした老後の生活が始まります。

しかし配偶者が亡くなったりしますと、一人で生きていゆくために健康のことで悩みますし、介護施設に入っても人間関係で苦労します。

遺産を残しても、子どもや親戚に通帳と印鑑の場所を探られるようでは、果たして財産を持っていることは幸せなのか…。

「一生懸命頑張ってきたのは何だったのか」「意味のない人生となってはしまわないか」と後悔しても、時間を戻すことはできません。

たくさんの坂を乗り越えても最後、幸せは無かった、となるならば「何の為の人生だったのか」と問わずにはいられないでしょう。

生きる目的とな何かと聞かれても、本当の人生の目的を知らなければ「苦しむための一生だった」と言うことになってしまいます。

ということは、学校や仕事、子育てなど、子どもから老人まで追い求めてきたものは生きる目的ではなかったということです。

人生に意味が感じられず生まれてきた喜びが無いのは、本当の生きる目的を知らないところに根本原因があります。

仏教を説かれたお釈迦様は、人生の目的の知り、それを達成して「人間に生まれて良かった」という幸せをこのように説かれました。

人身受け難し、今已に受く(釈尊)