ブッダの生涯 ― 幸せとは何か、生きる意味はあるのか

春は進学や就職、または異動や転職などで、生活に転機が訪れる人が多いと思います。

充実感や豊かさ、やりがいや生きがいを求めて、都会に移り住む人も多いのではないでしょうか。

しかし、モノが溢れ、出会いのチャンスの多い都会は同時に、幸せとは何か、生きる意味とは何か、と迷うことも多い所でもあります。

 

じつは仏教を説かれたブッダ(お釈迦様)にも、幸せや生きる意味に悩まれた時がありました。

 

ブッダが生まれたのは、今から約2600年前のインドです。当時、インドの北方、今のネパールのあたりを治めていた浄飯王(じょうぼんおう)と、その妃 摩耶夫人(まーやーぶにん)との間に生まれられました。

 

初産だった摩耶夫人は、出産のため生家へ戻る途中、ルンビニ園という花園で陣痛が怒り、出産されました。

生誕日である4月8日は、ちょうどルンビニ園には花が咲き誇っていたため、ブッダの誕生日を「花祭り」と言って祝われるのです。

ところが、摩耶夫人の産後の肥立ちが思わしくなく7日後に亡くなられたため、ブッダはその後、叔母の摩訶波闍波提夫人(まかはじゃはだいぶにん)に育てられることになります。

 

 

生まれてきた意味を宣言

誕生時のエピソードとして有名なのが、生まれてすぐに東西南北に7歩ずつ歩き、右手で天を、左手で地を指し「天上天下唯我独尊、三界皆苦吾当安此」と叫ばれたことです。

もちろん、生まれたての赤ん坊が生まれてすぐに歩くことはありえませんが、このエピソードが私たちに示唆しているところには、大変深い意味があります。

 

「東西南北に7歩ずつあるいた」ということは「六道出離」ということを表します。六道とは、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道の6つの境遇です。

「天上天下、世界広しといえども、唯、我らには、独尊あり」と、人間として生を受けた意味があり、命には重い価値があることを宣言されました。

この人間世界(三界)には老若男女問わず悩み、苦しみが絶え間ありませんから「三界は皆、苦なり」と断言され、「吾、当に此に安んずべし」この世界で幸せを成就し、宣布するのだ、と出世の本懐を叫ばれました。

 

 

悩まれた若き日々

ブッダは幼名を悉達多(シッダールタ)と言われ、学問と武術、それぞれ国で一番の達人を家庭教師につけられました。ところが悉達多太子は、文武ともに抜群の才能を持っておられ、2人の師匠は間もなく辞任を申し出ます。

生家は裕福な王族、自身は勉強も武術も才能に恵まれている。生活も豊かで、将来は父王の跡を継ぐ…。

多くの人が羨むような境遇にあった悉達多太子でしたが、成長するにつれて、なにか深刻に物思いに耽るようになります。

心配した両親は悩みの種を無くそうと、されますが、太子はその胸中をなかなか語ろうとしません。

 

そこで浄飯王は、悉達多太子が19歳の時、国で一番の美貌を持つと言われていた耶輸陀羅(ヤショダラ)姫と結婚させられました。

それでも、悉達多太子の暗い表情は変わらないため、浄飯王はさらに、季節ごとの別荘を作らせ500人もの侍女を用意し、悉達多太子の悩みを無くそうとしました。

それでも、悉達多太子の悩みは無くならなかったのです。

 

 

本当の幸せ、生きる意味とはどこに

モノや財産、家庭にも恵まれていた悉達多太子は、いったい何に悩まれていたのでしょうか?

この太子の悩みを知る手がかりとなるエピソードに「四門出遊」といわれるものがあります。

ある時、城の東門から悉達多太子が外に出られると、そこには腰は曲がり、歯は抜け、歩みもままならない一人の老人がいました。

それまで、若くて健康的な人ばかりに囲まれて暮らして悉達多太子は大変おどろかれ、自分もまた年老いてゆく、という事実にショックを受けられたのです。

次に太子が南の門から出られると、そこには流行り病で苦しんでいる一人の病人がありました。

はじめて見る病人の姿に、自身も病に冒されることがあることを知られました。

西の門から太子が出られると、ちょうど葬列が通ってゆくところでした。

土気色になった死者に、家族が泣きながらすがりつき進んでゆきます。

変わり果てたその死者の姿を目の当たりにし、太子はやがて我が身にも死の便りがくることを知られたのです。

健康や才能に恵まれ、財産や名声を手に入れたとしても、やがて老いと病と死によって、幸せとは移ろい変わってゆく。

幸せとは、続かないものであることを知っていた悉達多太子には、心からの安心も満足も無かったのです。

 

どこかに、本当の幸せはないのか、生きる意味はどこにあるのか、という悉達多太子の探究心は日に日に強くなってゆきました。

 

 

生きる意味への解答

本当の幸せを探求する悉達多太子は、29歳のある日、ついに城を出ることを決意されます。

おどろいた父王・浄飯王が「何が不満で城を出たいと言うのか、そなたの望みは何だ」と尋ねると、太子は3つの願いを告白されます。

太子の1つ目の願いとはいつまでも今のままの若さで老いない身になること。

2つ目の願いは、いつも健康で病気にならない身になること。

3つ目の願いは、いつまでも死なない身になること、です。

どんなに好きな人と一緒であっても、どれだけの財や名声を得ても、どんなに幸せであっても、老いと病と死によって失われてしまう。

たしかに、不老不死、無病息災は、歴史上の皇帝や王族だけでなく、古今東西の人の願いと言えます。しかし、老いや病や死に勝てる人は、果たしてあるでしょうか。「そんな無茶なことを…」と呆れた浄飯王は、その場から立ち去ってしまったと言われます。

 

ついに、悉達多太子は城を出られ、山奥深く入って大変厳しい修行に打ち込まれます。

6年後、35歳12月8日の明け方、仏の悟りを開かれ、ブッダとなられました。それから、80歳で亡くなられるまでの45年間、ブッダとして教えを説いてゆかれました。

 

生きる意味を知り、果たした幸せを、経典に「人身受難し、今已に受く。(生まれがたい人間に生まれることができてよかった)」と説かれました。

生きる意味に悩まれ、本当の幸せとは何か探求されたブッダが、その解答を教えられたのが、仏教なのです。

 

 

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